少し前まで「パサー」という言葉がしっくりくる選手がたくさんいました。
これは、育成の段階で組織的なサッカーを求めていたことで、個人能力よりもパスなどに注力していたことが原因だと思います。
また、ゴール前に得点につながるパスを出す選手に有名選手が多かったことで、自然とあこがれる子供たちが増えたことも要因でしょう。
しかし、いくら組織的に戦っても、強豪国に勝てないことが続きました。
どの強豪国も組織的に戦う部分はあるが、個人での打開できる能力が、最終的な結果に反映するところをみせつけてきました。
よくよく考えると、キャプテン翼の大空翼くんも個人技が凄すぎですやん。
そのこともあり、育成年代の取り組みが変わってきたことで、「ドリブル」などの個人で打開できる「ドリブラー」という言葉がしっくりくる選手が近年増えてきたのだと思います。
そこで今回は、東京オリンピック世代の最強ドリブラーである、ベルギー1部ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズにレンタル移籍中の三苫薫選手についてご紹介していこうと思います。
頭いいと言われるゆえんも書きました。
三苫薫選手の幼少時代
三苫選手は、神奈川県の川崎市立鷺沼小学校を卒業しています。
同じ小学校の有名人では、同じサッカー日本代表の田中碧選手や女子サッカー日本代表の三浦成美選手が卒業生です。
三浦選手に至っては、家族ぐるみの付き合いらしく、頼れるお兄ちゃん的存在だったと話していました。
また、芸能人では、タレントのベッキーさんが卒業生になります。
三苫選手は、3歳上のお兄さんの影響でサッカーを始めました。
小学2年生になると、本格的にサッカーを始めようと「鷺沼SC」に所属します。
この「鷺沼SC」には、こちらも日本代表のゴールキーパーである権田修一選手と田中碧選手も所属しています。
さらに、高いレベルを求めた三苫選手は、小学校3年生のときに「川崎フロンターレU-12」のセレクションを受け、みごと合格しています。
以後、川崎フロンターレの下部組織でサッカーを続けることになりました。
入団当初は、あまりのレベルの高さについていくのがやっとだったと話していましたが、徐々にレベルを上げ、小学校5,6年生の時には、全国少年サッカー大会に出場できるだけの実力をつけていました。
6年生では、チームキャプテンを務めるほどでした。
三苫選手といえば、代名詞であるドリブルが有名で、ウイングのイメージがありますが、この時はボランチとしてチームの中心的存在でした。
しかし、この頃からドリブルには一目置かれていたようでした。
三苫薫選手の中学時代
三苫選手は、川崎市立有馬中学校を卒業しています。
川崎市立有馬中学校の卒業生では、小学校が同じの田中選手も同じで、芸能人ではフリーアナウンサーで活躍中の新井恵理那さんが卒業されています。
三苫選手は、順調にカテゴリーを挙げ、川崎フロンターレの下部組織で力をつけていきます。
当時チームの監督であった後藤静臣監督は、三苫選手のことを「右肩上がりで成長していった」と話しています。
後藤監督が三笘選手の印象に残ったプレーは、中学3年時のクラブユース選手権準々決勝のガンバ大阪だと話しています。
「当時のガンバはタレント軍団で、クラブユース選手権で優勝したのですが、試合後に相手の監督さんが『ここまで崩されたのは、フロンターレさんが初めてですよ』と言って、薫を絶賛していたことを覚えています。『止められなかったです』って」
三笘薫の「止められなかった」少年時代。相手監督もその才能に脱帽だった|Jリーグ他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (shueisha.co.jp)
この時すでに、ドリブルが手に負えないほどだったのですが、基本はボランチでのプレーが多かった状況でこれだけのインパクトを残すわけですから、スゴイの一言に尽きますね。
三苫薫選手の高校時代~トップ昇格を自ら断り筑波大学へ
三苫選手は、川崎市立橘高等学校を卒業しています。
川崎市立橘高等学校の卒業生には、V.LEAGUE Division1のNECレッドロケッツに所属している甲萌香選手や塚田しおりがいます。
今ではドリブルといえば「三苫薫」という感じがしていますが、川崎フロンターレの下部組織に所属していた時には、ボランチやインサイドハーフでチームの主力となっていました。
すでにドリブルも有名になりつつありましたが、まだ本人もそこまで自信があったわけではなかったようです。
この時点では、ドリブルのスタイルが確立していない状況であるにもかかわらず、トップ昇格の打診を受けていました。
しかし、三苫選手は、この打診を断り、筑波大学に進学することを選んだのでした。
これを知って私は、「筑波ってめっちゃ頭ええんやん」って突っ込んでいました。
当時の川崎フロンターレの1つ先輩には、日本代表経験もある三好康児選手や現日本代表の板倉滉選手がいて、その選手たちを見ていて、プロでやっていく自信が当時はなかったと話していました。
川崎フロンターレのスタッフとの話し合いで、大学4年間で自分を磨き上げたいと話したそうです。
この時点で、自分を客観的にとらえることができているところがスゴイと感じさせます。
その言葉通り、三苫選手は大学で大きな武器「ドリブル」を得るのでした。
三苫選手の代名詞となっているドリブルは大学に入ってからさらに磨かれたものなのです。
筑波大学で、順調に成績を上げていく三苫選手ですが、彼を一気に有名にしたのは、2017年の天皇杯2回戦で対戦したベガルタ仙台との試合です。
格上の相手ながら、前半から圧倒的な個人技をみせつけ「60m独走ドリブル」でゴールまで奪ってしまいました。
そして、後半には決勝戦を叩き込んでしまう大活躍でした。
この活躍から、古巣の川崎フロンターレの指定登録選手に指名され、さらに活躍の場を増やしていきます。
そして、現在の最強ドリブラーの地位までのし上がってきたのです。
三苫薫選手の年俸と市場価値推移
年度 | 年齢 | チーム | 年俸 |
2020年 | 23歳 | 川崎フロンターレ | 480万 |
2021年 | 24歳 | 川崎フロンターレ | 2000万 |
2021年 | 24歳 | ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC | 7億(4年契約) |
2022 | 25歳 | ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ、ブライトン | 1億7500万 |
2021年に、1520万円も年俸が大幅アップしています。
正直、Jリーグの水準で考えると、1年で1520万のアップですからこれは凄いことです。
しかし、あの活躍を考えると確かに安いと感じてしまう部分はありますよね。
あのまま、川崎フロンターレにいても、年俸のアップは間違いなくあったでしょう。今後は、さらにアップすると思いますよ。
なぜなら、プレミアリーグの平均年俸は4億ですから、今よりアップは間違いないですね。
さて、2021年に1520万円も大幅アップした理由として、チームが「2020年Jリーグ優勝」「2021年天皇杯優勝」「ゼロックススーパーカップ優勝」しており、しかも主力として活躍しています。
個人としては、「Jリーグアシスト王」「Jリーグベストイレブン」に輝いています。
ブライトンへの移籍金はいくらだったのか?
移籍金は、A代表未経験者としては、異例と言っていい約3億9000万円です。
世界のトッププレーヤーを集まるプレミアリーグへの移籍は、相当ハードルが高いことを考えるとA代表にも入っていない選手でこの金額ですから、ものすごい期待されていることがわかりますね。
ちなみに、移籍金は、移籍先チームが前チームに支払うものなので、選手には一銭もはいってきません。
契約年数にもよるのですが、金額が高いと選手としての価値が高いことになります。
三苫薫の市場価格は?
年度 | 年齢 | チーム | 市場価格金額 |
2020年 | 23歳 | 川崎フロンターレ | 625万 |
2021年 | 24歳 | 川崎フロンターレ | 2億 |
2022 | 25歳 | ブライトン | 3億1250万 |
三苫薫はこれからどんどん上がっていく選手です。
三苫薫のドリブルはなぜ止められない!
三苫選手のドリブルは止められないという評価が、プロ選手でも話題です。
これは、なぜなのか?
単純に「スピードが速い」、「テクニックが優れている」という部分は当たり前として、個人的に凄いと感じるところは、「止められないドリブルを論理的に考えている」ことですね。頭いいと言われるゆえんです。
その有名なエピソードとして、「なぜ、自分のドリブルは抜けるのか?」という卒業論文を書いています。
こんな論文を書くくらいなので、いろいろな角度から抜けるドリブルを追求しているのでしょう。
なんとなくやっているのではなく、自分を客観的に見ることができていて、そして物事を論理的に考えることができるのがよく分かります。
非常に頭のいい選手です。
また、スピードが速いので抜けるという部分ですが、それにしても簡単に抜いていくと感じませんか?
そして気になるのは、相手選手がなぜか体勢が崩れていることが多いことです。
これは、ボールを持っている三苫選手の間合いが絶妙なのでしょう。
たぶん意図的だと思いますが、相手ディフェンスがつい足を出してしまいそうな位置にボールを置いて取りに来るのを誘っているのです。
そして、もう一つの特徴だと思う部分ですが、止まっている状態からトップスピードになるまでが桁違いに早いので、足を出してしまっている相手は、無理についていこうとして体勢が崩れてしまうのです。
これを、最初の段階でくらってしまうと、そのあとは怖くて足を出すことができなくなり、後手後手に回ってしまいます。
また、一般的にドリブルをすると、スピードは落ちてしまいますが、三苫選手のドリブルはその誤差が少ないように感じます。
仕掛ける場合には、一瞬前傾姿勢になりますが、そのあとは姿勢よく大きなスライドでぶっちぎっていきます。
これが、三苫選手のドリブルが止められない理由です。
日本代表での最適ポジションは?
2021年夏に、イングランド・プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに完全移籍が決まりました。
移籍金は、A代表未経験者としては、異例と言っていい約3億9000万円と破格の金額となりました。
まあ移籍金は、クラブ間だけの問題で本人には一銭も入ってこないのですが、この金額は期待の表れですので本人もうれしいでしょうね。
契約期間は4年で、年俸は4年7億を保証されており、出来高次第では最大約14億円の大型契約となっています。
現在は、労働許可証の関係で、ベルギーのユニオン・サン・ジロワーズにレンタル移籍していますが、ここでは、少しポジションを下げてウイングバックで出場しています。
個人的には、このポジションは三苫選手には合っていると思います。
現に、得点とアシストを順調に重ねていますしね。
前線の左の場合は、相手を背にしてプレーすることが多くなります。
三苫選手は、うまくターンして前をむく形にしていますが、それでもプレッシャーはかかってしまいます。
しかし、ウイングバックなら、前からのプレッシャーは下がりますし、もらった段階で前を向いていることが多いです。
そのままサイドを持ちあがって、必然的に勝負する機会が増えるので、三苫選手のドリブルが活きると思います。
もし、左ウイングバックなら、3-6-1システム(サンフレッチェ広島バージョン)ですっぽりハマります。
ワントップに古橋享選手を置いて、2シャドーに南野選手と久保建英選手を配置すれば得点パターンが格段にあがります。
右ウイングバックには、伊東純也選手か酒井宏樹選手が入ればさらにうまく回るでしょう。
もちろん、前線の左ウイングでも、効果的な動きで得点とアシストを演出してくれるはずです。
実際、川崎フロンターレの時も、得点だけでなくアシストも二桁ありましたし。
三苫選手のプレーとして多いのが、サイドを切り崩してゴールに向かいながら選択肢を増やしていくパターンです(0:40~)
ゴールサイドまで侵入してクロスをあげたり、自分で打ちに行ったりと多彩です。
日本代表の不動の右サイド伊東純也選手の動きと似ていますが、伊東選手よりもゴールに向かうようにドリブルしていきます。
そのため、パスを選択する場合、ボールを戻すような形になり、味方選手は前を向いてショートすることが多くなります。(映像2:40~)
現在の前線の左サイドは、南野拓実選手がスタメンででていますが、ゴールを決める動きはできても、サイドをえぐってチャンスを作るタイプの選手ではないのです。
そのため、左サイドからの得点チャンスが少ないのです。
両サイドの選手には、この特徴がないと4-3-3のシステムで点をとるのは、難しいと思います。
この動きができるため、伊東選手が現在不動のスタメンになっていると思います。
本来なら同様の動きができる三苫選手が、スタメンででても何ら不思議はないのですが、早くチャンスを与えてあげてほしいですね。